見本市に対する功労と理想

明治四十四年[1911年]春、神戸市湊川において開会せる、貿易製産品共進会*も翁らの主唱に係わるものなり。
翁は、当時、大患後にて、健康全く旧に復せざりしをもって、表面に立ちて、活動こそせざれ、その裏面における功労、 けだし、大なるものあり。
開会準備その他につきて、種々考慮を費やし、その意見はことごとく当事者に致して、注意を喚起し、もって、この事業を補助せし。
その出品種類、出陳方法、その他の施設につき、翁の理想の幾分をも実現するあたわざりしは、心ひそかに遺憾とせしところなり。
さらに、不満の色を(あら)わさざるのみならず、その自己の功は、 ことごとくこれを他に推譲して、同会の成功はひとえに会長以下、役員および当事者の奮励努力の致すところなりとす。
常に、その功労を讃美して満足の意を表しいたりき。
たまたまもって、その襟度(きんど)宏闊(こうかつ)を示して余りあり。


貿易製産品共進会
=現在の見本市


貿易製産品共進会の会場の写真


また、翁は、本年*の御予定なりし、御即位式を記念せんため、前年の共新会敷地に水産共進会を開き、これを機として、 その建造物の一部は永久的のものとし、将来は物産陳列場に宛てんとの考案を有し、その内意を一、二の者に漏らせしことあり。
著者、また、親しく、その計画の内容を聴取したりき。
翁の性質として、ただ、漫然、その開設を思いたてるにあらず、前年、 貿易製産品共新会を開きて、とにもかくにも、成功したるにかかわらず、本年において、 前例に(なら)わず、水産共進会を開かんとするには、おおいなる理由あり。
なお、永久的建物の構造、建築費より諸経費にいたるまで、極めて詳細の計算を立てありき。
翁の対外貿易の発展と、神戸港の繁栄とを企圖(きと)する念の、 常人に超越せるものあるを思わしめたり。
しかれども、神戸市においては、本年既に、第二回貿易製産品共進会を開催したることなれば、 ここにはただ翁が企圖(きと)の一般を記述するにとどめおくべし。
本年
=本書の第一版出版の年、
つまり大正三年=1914年に
大正天皇の即位式が挙行された。

金品義捐

翁が生涯において、社会および慈善のために、金品を義捐(ぎえん)*したる、 幾百回なるを知らず、したがって、これがために受けし褒賞謝状のごとき、 いちいちこれを挙示するに(いとま)あらず。

その死後において、
  • 公共事業に使用せられたしとの条件にて、金五千円を神戸市に提供し、
  • その関係せし神戸実業協会および
  • 神戸貿易青年会の基本金に各五百円、
  • その他市内慈善団体
におのおの金品を寄贈したるは、その遺言にもとづけるなり。

なお、当時、遺書中に、親戚、故旧、店員より出入りの末輩にいたるまで、その関係の厚薄により、 おのおの記念として贈与すべき物品および金額など、極めて詳細にしたためありしと。
もって平素の心掛けを推すべし。

義捐(ぎえん)
=寄付