兼松講堂関係
一橋大学の兼松講堂は、兼松房治郎の遺命として、その第13回忌に、兼松商店からの寄付その他で
建設された。
兼松史料
大正時代、昭和時代の、兼松商店の帳簿、売上帳簿、仕入帳簿、電報記録、などの膨大な史料が、
神戸大学の「経済経営研究所附属政策研究リエゾンセンター 企業情報分析史料室」に
整理保存されています。
この時期の企業と企業をめぐる環境を研究するための「生史料」です。
-
兼松史料を保存する意義説明と目録
- 上記の一部を写真にして、Web公開しています。
史料の写真へのリンク集
- 上記の写真リンク集の一つに、電信原稿があります。
神戸本店からシドニー支店羊毛部への暗号電信原稿
ここでは、機密電報と書かれ、英字電報と書かれているが、これは誤り。
暗号という言葉から、機密と推測するが、そうではなく、電報代の節約手段としての暗号。
暗号書は、兼松の支店だけでなく、客先にも配っていた。極秘ではない。
当時の、1単語の電報代は、丁稚の日給並みと云われた。そこで、複数の単語を1単語で送る技術が
考えられた。"羊毛xxxxトンを何月積みせよ"などという文章を1単語で済ませた。
ところが、英単語辞書にない単語だと、5文字までで1単語分、課金された。
5文字で、アルファベット5文字だと、265=11,881,376 種類の組み合わせが
可能である。
貿易先進国の英国では、ACME Code (ACME暗号書)が公版されていた。米国ではBentley。
世界の貿易商社はこれらの公版された暗号書で電報を暗号化して送り、受信側も
それを使って解読していた。
現在のパソコンファイルのZIP形式のようなものである。
その内、日本語文章や日本の商慣習には、英米の暗号書ではうまく対応できないことが分ってきた。
そこで、兼松では、兼松コードというのを作り、これを客先まで配布し、電報の送受を
するようになった。この写真は、その実例。
日濠館--海岸ビルヂング
兼松商店の旧神戸本店ビル