人造肥料の啓蒙活動

人造肥料輸入の今日のごとく旺盛を呈せしこと、また翁の力、あずかりて大なるものあり。
曩時(のうじ)*、わが国における農業肥料は、ぬか、 油粕(かす)、などの植物性のものありしが、 人糞を除きては、主として、にしん(かす)、いわし (かす)のごとき、いわゆる北海魚肥を使用せり。
元来、この北海魚肥はその魚の有用*なる部分をもすべて肥料とするものにて、その経済上の不利いうべからず。
しこうして、わが国人口の漸次増加するに伴い、これを食用に供せるもの年々その多きを加うべきは、 勢いのしからしむる所なり。
はたして、しからんか、かねて魚肥に代うるの肥料を求めるべし。
しかるに、濠州において製産する肉、骨粉、および乾血(かんけつ) のごとき、肥料としての成分はその植物性肥および魚肥などに優る万々にして、これが輸入を計るは農業政策上の急務なり。」

とは、翁が、最初、濠州肥料の輸入を企てたる理由の大なるものなりき。
翁は、この見地よりして彼の地より肉、骨粉、および乾血などを輸入したり。
しかれども、肝腎の農家の智識は、なおいまだ、これを使用するの域に達せず。
「米は神仏に供するものなり。
しかるに獣類をもって製出したるものを用いんこと、もっての他なり」
として、 さらにこれを(かえり)みるものなかりき。
しかれども、翁は我が農作物に対する肥料は、魚肥よりも窒素を多量に含有し、 しかも、経済的なる動物質肥料を使用するの優れる確信せるをもって、農家の反対盛んなるも あえてこれを意とせず。
鈴鹿保家(やすいえ)氏[東京深川の肥料商]と計り、 相い伴いて、地方に出張し、農家に会ってみずから、その効用を説きし。
ある時は寺院における説教の後を利用して、こもごも、これを施用するの有利なるを演説したり。
また、無料配布してその効の有無を験せしむるなど、これが販路の拡張に全力を注ぎたり。
かくのごときもの一年また一年、年を積むにしたがいて、さすがに頑固なる農民も、まことに効力あるを認めて、 これを施用するものようやく多きを加え来たり。
一方においては、この機運に乗じて、英国その他より硫酸アンモニアのごとき、新肥料の輸入を企だつるものあり。
また、内地各所に人工肥料製造会社の設立をみるにいたりぬ。
その外国肥料輸入の経路、おおむねかくのごとし。
今や窒素肥料の恩沢に浴するもの、よろしく、翁等先覚者の功労に対して感謝するべし。



曩時(のうじ)=以前


有用=ここでは、食用の意味

肥料輸入税廃止

取締規則発布

輸入肥料は、現今無税なるも、最初は五分の従価税を課せられたり。
翁はこの種の必需品に課税するの理由なきを唱え、明治三十一年[1898年]、これが撤廃を政府に建 議せり。
しかるに、当時その輸入税のごとき僅か数万円に過ぎずして、これを廃するも政府の財政に何ら影響するところなかりしをもって、 政府はただちにこれを()れて、 同年の議会に提案したるに、議会また異議なく同案を可決し、翌明治三十二年[1899年]四月より撤廃することとなれり。
また、当時は肥料取り締まり規則なく、その使用の盛んなるにしたがいて、諸種の弊害続出せるをもって、 翁は、その取り締まり規則の制定を必要なりとして政府に建議したり。
政府は翁の建議により初めてその必要を感じたる程にて、いまだ何ら研究するところなかりし。
当該規則の条文のごとき、翁が調査して提出せる、濠州ニューサウス・ウェールズ州に行われ居りたる 同取締規則を基礎として制定したりしとなり。