明治時代、貧窮の中から苦闘努力して、成功した実業家は多い。 その中で、財閥を作り、資本形成をしていくという道でなく、事業を通じて社会に貢献する、 さらには事業周辺分野でも社会発展の基盤作りに努力するということにも、足跡を残した実業家は、それほど、多くはいないのではないだろうか。 | そのような、数少ない「社会貢献型の実業家」の1人としての兼松房治郎は、もう少し知られてもよいのではないだろうか。 |
西欧に遅れて資本主義化をめざした日本の歴史資料として、掲示しておく意味があるのではないかと思う。 民間から建議したもの(例:肥料関税廃止)、それがすぐ翌年の議会で承認されるというスピード性などは、社会が若い時代の特徴と思われる。 |
また、幕末ギリギリになると、
その他、読者によっては、「そうだったのか~」と、新発見の1つや2つはあると思う。 |
本書は、明治の日本語文体の1つの成果だと思う。 明治の人々は、西洋語の単語に対応する日本語を、必死になって作りだし、それらを漢文の素養の上に、展開している。 貿易、議会、発展、とかいう言葉は、明治初期には無く、明治時代に、造語された。 現在はカタカナ外来語が氾濫している。 明治時代には、今以上に新しい文物や概念が西洋から入ってきたが、明治人は、 カタカナ外来語にせず、漢字の智識をもとに造語をした。
(閑話休題。Peopleに対する「人民」という言葉も明治人が発明した。
大正時代の言文一致運動(文語をやめ、口語を文章にする運動)や、戦後の日本語平易化運動で、本書のような文体は、「悪い文体」とされてきた。漢文でも「人民」があったが、趣きは異なっていた。Republicに対応する「共和国」も明治人の造語。 この「人民」と「共和国」とを組み合わせて、国名の一部としている国があるが、それは日本からの外来語をそのまま使っているといえる) しかし、明治末期の日本語文章は、格調が高く、非常に調子が良い。漢文素養の上に、造語された西洋の概念が組み合わさって、 読者に男性的情意を訴えられる。 |
このような、文章を「良い文体」として、現代人はもっと鑑賞してもよいはず。 現代人が、この文体で書くというのは、文意の疎通の意味で問題はあるが、この文体を読むというのは差し支えないはず。 また、カタカナ外来語は、どしどし、漢字の造語で対応しようではないだろうか?
(例えば、「モバイル・デバイスによるユビキタス・コミュニケーション」などは、漢字造語で対応できるのではないだろうか?)
歴史とは、幾つかの山を越えてきた記憶だが、文体史でも、この明治末期の文体は、
越えてきた一つの山の頂上にあった成果物。著者の西川文太郎氏は、奇をてらって、このような文体を使ったり、慣用語を挿入したのではないと思う。 彼としては、ごく、自然の文章だったと思う。 西川文太郎だけでなく、追憶の記として寄せられた27氏の文章は、皆、これである。例として、 横浜正金銀行の神戸支店長の文章も正調明治文体である。(但し、大正3年では珍しく、28名中1名、瀧村竹男氏だけが口語文) 「 |